『芸術は人格の表現である、幾多の伝記よりも1個の遺作が其の全人格を表白する。
(略)
我々には動(やや)もすればうまく描こうとか、驚かせてやろうとか云う野心が出て来る場合があるので、
常に修養の怠るべからざる事を感ずる。品位は芸術の生命である。
(略)
品位は絵画の各要素の調和の完美にあると云えるが、背後に潜在する作家の人格と感情の高さによって霊妙な力を現わしうるのである。
故に芸術に対する感覚を高めることは最も大切な事であって、因みに絵画ばかりではなく、最も密接な関係を有する彫塑はもとより、
各種の美術工芸の製作や建築等のいずれをも味わいてこれを批判するの力を養わなければならぬ。
高級の芸術品には凡て共通のものがある。それに触れる事が出来なければ、一の道も真の理解は得られない筈である。
又自然の真も見出す事は出来ない筈である。
「絵を為すは絵具にもあらず、其の描方にもあらず、物の観方の如何にあり」と西洋人は云い「写生心読」と支那人は云って居る。
凡て古画に対して観察批判する感覚も自然に対する時の感覚も同一である。
眼低ければつまらぬ古画を愛慕して心眼を曇らし、自然に接しても其の実質を掴むことはできぬ。』
(「画想」 安田靫彦文集 第一章「古画の研究について」より 中央公論美術出版)